菓子舗𠮷野堂創業120年の歩み
-
- 明治30年(1897)
- 初代・石坂直𠮷が菓子舗「𠮷野堂」創業。
福岡・八木山石坂から飯塚へ。
福岡藩・藩祖黒田官兵衛公が福岡入りする際に、
八木山峠の石坂茶屋に逗留し、自ら宰領された「博多往還」。
この折の協力とおもてなしにより
お褒めの言葉とともに石坂の姓を頂いたと伝えられています。
八木山の地で蒔かれたおもてなしの芽は、
初代・石坂直吉が飯塚本町に菓子舗吉野堂を
新たに開店することにより花開いたと言えるでしょう。
-
■ひよ子本舗𠮷野堂の屋号となった八木山峠の吉野桜。
■昭和8年に開通した飯塚の「昭和通り」。(旧国道20号線)
-
- 大正元年(1912)
- 二代目・石坂茂が「名菓ひよ子」を創生。
14歳の若き菓子職人、𠮷野堂二代目・石坂茂。
「みんなに楽しいおどろきと笑顔を」
という茂の「夢」が、名菓ひよ子を創り出しました。
創生の地、福岡・飯塚は、
シュガーロードで知られる長崎街道の大きな宿場町であり、
炭坑景気で賑わっていた筑豊の中心でもありました。
-
■二代目・石坂茂が創生した「名菓ひよ子」。
(大正元年)■ひよ子本舗𠮷野堂創業の地・飯塚本店の前で職人たちと。前列右側が石坂茂。
(大正半ば)■ひよ子の原点として大事に保存されている大正元年の創生時の木型。
-
- 昭和27年(1952)
- 飯塚市で「𠮷野堂製菓株式会社」を設立。
社長に三代目・石坂博和就任。
- 昭和31年(1956)
- 福岡市で「株式会社𠮷野堂」を設立。
-
- 昭和32年(1957)
- 福岡市天神に天神店(現在のFrau Atsuko Kayashina)を開店。
-
■福岡進出を果たした初代天神店。店内はいつもお客様でいっぱいだった。
(昭和32年)
-
- 第十四回全国菓子大博覧会で「ひよ子」が名誉総裁賞授賞。
-
■第14回全国菓子大博覧会で「ひよ子」が総裁賞を受賞。当時の新聞広告や折込チラシには受賞の喜びがあふれている。
(昭和32年)
-
- 昭和33年(1958)
- 昭和天皇・皇后陛下に「ひよ子」を献上。
- 昭和34年(1959)
- 福岡市南区塩原に
菓子販売会社「𠮷野堂商事株式会社」を設立。
福岡市南区塩原に
生餡製造販売の「福岡銘菓原料株式会社」を設立。
福岡市南区塩原に福岡第一工場建設。
-
■高松宮家への献上菓を準備する博和夫人のフミ子。
(昭和32年)
-
- 昭和38年(1963)
- 「𠮷野堂製菓株式会社」を「株式会社ひよ子」に商号変更。
-
- 「ひよこのうた」作成。
作詞・サトウハチロー、作曲・中田喜直。
- 「ひよこのうた」作成。
-
■サトウハチローさんと中田喜直さんによって「ひよこのうた」誕生。
(昭和38年)
飯塚総合工場には、サトウハチローさんの自筆原稿を刻んだ碑がある。
-
- 「ひよ子」の書体変更。
書家・町春草(まち しゅんそう)。
- 「ひよ子」の書体変更。
-
■東京進出を機に、「ひよ子」の文字を現在のものに変更した。手がけたのは、当時注目されつつあった女流書家、町春草さん。
(昭和38年)
-
- 昭和39年(1964)
- 東京進出のため、埼玉県草加市に東京工場を建設。
- 新宿ステーションビル内に新宿店開店。
-
- 昭和40年(1965)
- 福岡市南区向新町に福岡第二工場(本社工場)建設。
-
- 昭和41年(1966)
- 東京駅八重洲口地下商店街に直営店オープン。
- 飯塚市立岩に飯塚工場建設。
- 「𠮷野堂商事株式会社」を
「株式会社博多ひよ子」に商号変更。
- 東京都に「株式会社東京ひよ子」設立。
-
■東京駅八重洲口地下商店街にオープンした直営店。
(昭和41年)
-
- 昭和42年(1967)
- 「ぴよぴよもなか」発売。
- 昭和43年(1968)
- 福岡市南区塩原に配送センター開設。
-
- 昭和46年(1971)
- 福岡第二工場に高松宮殿下ご来訪。
- 昭和47年(1972)
- 福岡市南区塩原に本社社屋建設。
- 昭和55年(1980)
- 石坂博和、財団法人九州・山口経済貢献者顕彰財団
「第八回経営者賞」受賞。
- 昭和56年(1981)
- 「株式会社博多ひよ子」を
「ひよ子本舗𠮷野堂株式会社」に商号変更。
-
■福岡第二工場をご訪問された高松宮殿下。工場では自ら木型でひよ子を型入れされた。
(昭和46年)
-
- 飯塚市潤野に飯塚総合工場完成。
- 「株式会社ひよ子」の営業権を「ひよ子本舗𠮷野堂株式会社」に譲渡し、西日本地区の販売会社とする。
-
■完成した飯塚工場の全景。
(昭和56年)
-
- 昭和58年(1983)
- 「ひよ子サブレー」発売。
- 「株式会社𠮷野堂」の製造部門を「株式会社ひよ子」に譲渡。
西日本地区の製造会社とする。
-
■現在アドバイザーに就任しているオーストリアの菓子マイスター、ヴェルネル・エベナウアー氏。(写真は平成24年撮影)
博史と吟味を重ね「ひよ子サブレー」をつくりあげた。
(昭和58年)
-
- 昭和62年(1987)
- グループ会社四社を合併。
「株式会社ひよ子」としてスタート。
代表取締役社長に四代目・石坂博史、
代表取締役会長に石坂博和就任。
-
- 昭和63年(1988)
- 天神店改装、「茶房ピオーレ」開店。
-
■新装オープンした天神店。
(昭和63年)
-
- 福岡県嘉穂郡穂波町(現在の飯塚市楽市)に穂波工場完成。
-
■穂波工場完成。
(昭和63年)
-
家業から企業へ。平成の「ひよ子」。
-
- 平成元年(1989)
- 穂波工場に常陸宮殿下・妃殿下ご来訪。
-
■穂波工場を訪問された常陸宮両殿下とご案内をする英記副社長、博史社長、博和会長。
(平成元年)
-
- 埼玉県草加市に新東京工場完成。
-
■新東京工場が完成。
(平成元年)
-
- 平成2年(1990)
- 福岡市南区向野に本社社屋完成。
- 本社内に「ひよ子ランド」オープン。
-
■完成した本社社屋。
(平成2年)
-
- 平成14年(2002)
- 第二十四回全国菓子大博覧会で
「ひよ子ちっこいタルト」が名誉総裁賞授賞。
- 平成21年(2009)
- 代表取締役社長に石坂淳子、代表取締役会長に石坂博史就任。
- 季ひよ子シリーズ第一弾として
「桜ひよ子」「栗ひよ子」を発売。
- 平成23年(2011)
- 石坂博史、福岡市菓子協同組合理事長に就任。
-
- 「ひよ子一個一円愛プロジェクト」を実施。
-
■東日本大震災の支援活動として、名菓ひよ子を1個お買い上げにつき1円の救援金を「日本赤十字社」を通じ被災地に寄付した。
(平成23年)
その後、このプロジェクトは“ひよ子らしい支援活動”として「一般社団法人ひよ子ゆめ育基金」を通じ、災害発生の折々に現在も継続して進めている。
-
- 平成24年(2012)
- 福岡県糸島市芥屋に「ひよ子農園」オープン。
-
■ご協力いただいた方々を招いて執り行った「ひよ子農園」の植栽式。石坂淳子社長(中央)と社員も列席。甘夏の苗を植樹し、農園の発展を祈念した。
(平成24年)
-
- 福岡市天神に「Frau Atsuko Kayashina」オープン。
- 創生百年記念菓「茶ひよ子」発売。
- 名菓ひよ子創生100年・東京ひよ子50周年、記念事業の推進。
-
■「Frau Atsuko Kayashina」をオープン。ロゴマークは石坂家に受け継がれてきた女紋をデザイン化。新たな世界への可能性を託した。
(平成24年)
-
- 平成25年(2013)
- 福岡市天神に「ひよ子ギャラリー天神」オープン。
- 「苺ひよ子」発売。
「桜ひよ子」「茶ひよ子」「栗ひよ子」「苺ひよ子」が揃い、 季ひよ子シリーズが完成する。
- 飯塚穂波工場が、食品安全衛生管理システム
「AIB国際検査統合基準」認証を取得。
-
■ひよ子ビル3Fに「ひよ子ギャラリー天神」をオープン。
(平成25年)
-
- 平成26年(2014)
- 天神岩田屋に
「DOUX D’AMOUR(ドゥ・ダムール)」オープン。
-
■新ブランド「DOUX D’AMOUR(ドゥ・ダム―ル)」。5種類のフレーバーをトッピングした新しいサブレーを発売。
(平成26年)
-
- 「一般社団法人ひよ子ゆめ育(なる)基金」設立。
-
■食や文化を通じて人々が健康で安心して過ごせる環境や社会づくりを支援するという目的で、「一般社団法人ひよ子ゆめ育(なる)基金」を設立
(平成26年)
-
- 平成27年(2015)
- 博多駅マイング、キャナルシティ博多に
「ひらり回転饅頭 博多ひなのやき」オープン。
-
■2号店となるキャナルシティ博多店にはカフェも設置している。
(平成27年)
-
- 平成28年(2016)
- 一般社団法人ひよ子ゆめ育基金主催、
「第1回女性ゆめ育芸術祭」を開催。
-
■応募総数114点の絵画作品の中から、入選作品8点を選出。受賞された方々との記念撮影。
(平成28年)
-
- 𠮷野堂120年記念「親子で楽しむ収穫イベント」を
ひよ子農園にて開催。
- 𠮷野堂120年記念「親子で楽しむ収穫イベント」を
-
■甘夏収穫体験とジャム作り体験イベントを開催。78名の参加者とともに甘夏を収穫する石坂淳子社長。
(平成28年)
-
- 平成29年(2017)
- 菓子舗𠮷野堂創業120年、記念事業の推進。
菓子舗𠮷野堂創業120年。
ひよ子本舗𠮷野堂は、これからも
未来に向けて歩んで参ります。 -
■新しい時代に向けて、ときめきのあるお菓子や、企業活動を芽吹かせたいという願いを込めてロゴマーク「ときめきの桜」は産まれました。
(平成29年)