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ひよ子とテレビ

昭和40年代

広告主各社は、消費者とのより有効な接点を求めて番組提供やスポットCMで、テレビを軸とした活発な広告活動を行った。ある意味では、広告主とメディアと視聴者(消費者)の関係が、相互の求めるところを充足しあい、共鳴しあえた時代ともいえる。

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昭和35年、福岡に進出して間もない「ひよ子」にマスメディアとの縁ができたのは、RKB毎日ラジオで毎週日曜日、歌謡番組「今週の七大歌手」を提供してからのことでした。最初に番組提供のきっかけをつくったのは、RKB毎日放送の営業担当だった阿部昌弘氏(後RKBラジオ局長)。 彼は早速、博報堂福岡出張所(当時)に転勤してきたばかりで、同じようにひよ子を開発中であった吉賀靖高氏(後博報堂九州支社長)に声をかけ、取り組みが始まったのです。50年ほど前のこと。ここから、ひよ子の多彩なマスメディア展開が始まったのです。

ドライブゲーム

東京に進出したひよ子は、昭和41年、日本テレビで「ドライブゲーム」という30分番組を提供。幼児に交通安全を指導教育したいとの趣旨で企画された番組で、司会には、当時若手のホープ徳光和夫氏を起用。番組中では、参加者に、「ひよ子」をプレゼントし、東京での話題づくりに一役かったものでした。

てんぐショー

九州でも「視聴者参加番組」を、という声が上り、企画されたのが、KBC九州朝日放送で毎週土曜日、午後七時からの30分番組。昭和41年10月のことでした。司会はヴォードビリアンとして人気のあったトニー谷(故人)さん。審査員には、ロカビリー歌手平尾昌晃さんをはじめ、地元から日本舞踊の泉徳三(故人)、西川鯉近さん、にわかの博多玄海(故人)さんなど多彩な顔ぶれが揃っていました。

KBCエリアの各市町村の体育館やホールで一般参加の人たちが、歌や踊り、かくし芸など、自慢の芸を舞台上で競う公開録画番組でした。初日の視聴率は26%、正月休みに放送日が重なった時は、35%をこえるなど地元制作でありながら、高視聴率を稼ぐ人気番組となったのです。
当時から公開録画番組は番組製作に費用がかかる為敬遠されがちでしたが、有名タレントと身近に接触できる、普通の人がテレビに気軽に出演できるなど、視聴者参加番組独特のワクワクした魅力が、充満していました。
  番組中では舞台上にCMタレントの坂井すみ江さんと大きなひよこのぬいぐるみ人形が登場し、会場やテレビの前の子供たちの人気を呼んだものです。
  当時、福岡都市圏を中心としたエリアでは、ひよ子対チロリアンのテレビCM合戦が話題を呼びました。両者共、同じ頃に、飯塚から福岡に進出し、さらに東京へと進出していった、甘い物同士の、よきライバルでした。その戦いの過程で、お互いにテレビの効果を熟知し、その機能を活用しながら、成果を高めていったといえます。お菓子の好き嫌いや売れ行きに、テレビ広告を通じての「知名度」や「人気」といった情報的要素が大きな役割を果たし、そこに意欲的な企業のみが放つエネルギーを視聴者に感じさせえた時代でもあったともいえます。

※この記事作成にあたっては、吉賀靖高さん、阿部昌弘さんなど多くの方々のご協力を得ました。
また、「RKB放送史事典」、「九州朝日放送三〇年史」から勝手ですが一部引用させていただきました。
心より感謝致します。

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